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原状回復ってどこまで必要?―その1―

1 敷金返還と原状回復

法律相談などでも、賃貸借契約で賃借人が退去する際の原状回復をめぐるトラブルによく出会います。敷金返還の問題と原状回復の問題とは密接に関連しています。賃貸人は、賃借人からマンションの部屋などの明渡しを受けると、壊れた箇所を修理したり、壁紙を貼り替えるなどのリフォームをしたりして次の人に貸すための準備をします。それにかかる費用のうち、賃借人がどこまで負担しなければならないか、賃貸人はどこまで賃借人に請求することができるかによって、敷金の内いくらが賃借人に返還されるべきかが決まってくるからです。

 

2 原状回復義務とは

賃貸借契約が終了すると、賃借人は、賃借物を原状に復して返還しなければなりません。これを原状回復義務といいます。不動産の賃貸借では、契約書に「賃借人は、本物件を原状回復しなければならない。」などと明記されているのが通常です。

 

では、「原状に回復する」というのはどういうことを意味するのでしょうか。例えば、新築マンションを5年間賃借したという場合、賃借人は新築同然にして返還しなければならないのでしょうか。それとも、うっかり壊してしまったりした部分などを修理するだけでよいのでしょうか。

 

これについては、原状回復とは、契約書に特別な約定(特約)がない限り、入居した場合と全く同一の状態に戻すということを意味するわけではなく、経年劣化によって生じたり、通常の用法に従って使用していた場合に生じるような損耗・汚損(「通常損耗」といいます。)については、賃借人は元通りにする必要は無く、そのままの状態で賃貸人に引き渡せばよいと考えられています。

 

なぜかというと、そもそも賃貸借契約は、目的の物件を賃借人に使用させ、その対価として賃貸人は賃借人から賃料を受け取るのですから、通常のやり方で使用することによって生じる損耗や汚損は、賃借人が支払う賃料の中に既に織り込み済みだと言えるからです。

 

仮に、これとは逆に、借りた時と全く同一の状態にして返さなければならないのだとすると(上記の例でいうと、5年前の新築の状態にして返さなければならないのだとすると)、賃貸人はいつまでもそのマンションを新築の状態で保持しつつ、賃料収入を手にすることができることになって不合理であることは、直感的に理解することができます。

 

最高裁裁判所も判決(最高裁平成17年12月16日判決、判例時報1921号61頁)の中で、次のように述べています。

 

⑴ 原状回復義務について

「賃借人は,賃貸借契約が終了した場合には,賃借物件を原状に回復して賃貸人に返還する義務があるところ」

⑵ 通常損耗と賃料との関係

「賃貸借契約は,賃借人による賃借物件の使用とその対価としての賃料の支払を内容とするものであり,賃借物件の損耗の発生は,賃貸借という契約の本質上当然に予定されているものである。それゆえ,建物の賃貸借においては,賃借人が社会通念上通常の使用をした場合に生ずる賃借物件の劣化又は価値の減少を意味する通常損耗に係る投下資本の減価の回収は,通常,減価償却費や修繕費等の必要経費分を賃料の中に含ませてその支払を受けることにより行われている。」

⑶ 通常損耗が賃借人負担となる場合の要件

「そうすると,建物の賃借人にその賃貸借において生ずる通常損耗についての原状回復義務を負わせるのは,賃借人に予期しない特別の負担を課すことになるから,賃借人に同義務が認められるためには,少なくとも,賃借人が補修費用を負担することになる通常損耗の範囲が賃貸借契約書の条項自体に具体的に明記されているか,仮に賃貸借契約書では明らかでない場合には,賃貸人が口頭により説明し,賃借人がその旨を明確に認識し,それを合意の内容としたものと認められるなど,その旨の特約(以下「通常損耗補修特約」という。)が明確に合意されていることが必要であると解するのが相当である。」

 

このように、最高裁は、通常損耗に関しては、賃借人は、原則としてこれを回復する義務を負わないとしています。原状回復義務に関するこのような考え方は一般的で、学説上も異論をみないと言われています。

 

3 通常損耗補修特約

ここで注目すべきは上記の⑶の部分です。最高裁は、原則として通常損耗につき賃借人は回復義務を負わないとしましたが、一定の要件が満たされる場合には、賃借人が通常損耗部分についても回復義務を負う場合がありうることを否定しませんでした。その要件としてあげられているのは、

 

「通常損耗にかかる修理費用を賃借人が負担する旨の特約(通常損耗補修特約)が明確に合意されていること」

 

であり、その明確な合意があったといえるためには、

① 通常損耗の範囲が賃貸借契約書上で明記されている

か、そうでない場合には

② 賃貸人が口頭で説明し、賃借人がその旨を明確に認識し、それを合意のないようとしたものと認められること

というものです。要件としてはかなり厳格なものだと言えます。しかし、逆に言えば、この要件が満たされる場合には、賃借人が通常損耗の修理費用を負担しなければならないとされる場合がありうるということを意味します。

 

ただし、最高裁は「少なくとも」上記の要件が必要と述べているだけですので、この要件を満たしたからといって、通常損耗補修特約の有効性が常に肯定されるわけではないということに注意が必要です。

 

4 原状回復をめぐるトラブルの状況

敷金や原状回復をめぐるトラブルは今に始まったことではありません。賃借人は通常損耗については回復義務を負わないということも昔から言われていたことです。しかし、今なぜ敷金返還をめぐるトラブルが増えているのでしょうか。

 

賃借人には通常損耗に関する回復義務を負わないとはいいつつも、市販の賃貸借契約書の多くには賃借人に対して修繕義務や過大な原状回復義務を負うとの内容の条項が書かれていました。しかし、それにも関わらず訴訟にまでなることはなかなかありませんでした。それは、請求額が必ずしも高額ではないこと、訴訟で敷金を請求するのは知識、費用及び労力が必要となること、賃借人が仲介をした不動産仲介業者の協力を得ることは難しく賃貸人・賃借人間で情報や交渉力の格差があること、世の中の賃借人間で協力、連帯をしようにもその仕組みがなく困難であったこと、弁護士へのアクセスも容易でなかったという事情があったからです。

 

しかし、近時、新築賃貸物件が増加したこと、新規賃料が低下し、賃貸借契約終了後新たな賃借人が見つかるまでの期間が長くなったこと、清潔志向の高まり等の借家市場の変化により、賃貸人が補修、クリーニング、リフォーム等の費用を敷金から控除する事例でトラブルになる例が増えていると考えられます。特に、差入れている敷金額が高額である場合、敷引特約(敷引特約の問題については、別の機会に扱います。)の敷引率が高い場合で訴訟に発展する場合が増えていると言えるでしょう。

 

(中野星知)




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